FC2ブログ
Welcome to my blog

東井怜さんのこと

脱原発・東電株主運動事務局

 東井怜さんが自身の健康管理に専念すると宣言し、活動から遠ざかって久しい。活動をいつ再開するかは体に聞いてから、というような言い方をしていた。だいぶ元気になった様子は電話の声からも窺い知れ、そろそろ復帰か? とひそかに期待していた矢先の訃報だった。

 3月21日没。享年76歳。残念でならない。
 東井さんには、なみなみならぬ影響を受けた。それは私だけでなく多くの人たちが、程度の差こそあれ、感じていたようだ。いろいろなことを東井さんと共に活動してきたが、ここでは埼玉を拠点に活動していた2つについて書きたい。

【東京電力と共に脱原発をめざす会】
◆名称と世話人について
 東電共の会と私たちは呼び、さらに「友の会」ならぬ「共の会」とも呼んでいた。この名前がまず、すばらしいと思った。デパートなどの友の会が一般的になじみのあった時代、誰もが言いやすく抵抗感のない名前だった。誰がつけたのだろうか?

 たぶん、共同世話人の東井さんと岡村ひさ子さん(2008年12月没。享年58歳)がつけたに違いない。東電と敵対しないこと、代表を置かないこと、などなど、団体としての特異性が際立っていた。そして、埼玉県の消費者団体としても登録して、県から助成金をもらっていたときもあった。

 脱原発・東電株主運動が始まったのが1989年、共の会の始まりはその数年後かと思っていたが、東井さんの著書『浜岡 ストップ!原発震災』によると1988年秋と書いてあった。

 首都圏の市民の集まりだったが、事務局を東井さんの住まいの一角「いずみひと塾」に置いた。岡村さんは柏崎出身でイラストが上手。東井さんは知る人ぞ知る物理の専門家で、数学を教える教師でもあった。最強コンビが東電と市民をつないだ。

 岡村さんのことに少し触れたい。彼女は東電との窓口として、あの固い東電に対して柔軟にいつも対応していた。柏崎出身ということも強みだったのかもしれない。がんの手術後、順調に経過していたと私たちは思っていた。7年後あちこちへの転移が見つかった。
 「こんなに東電との付き合いが長くなるとは、始めたときは夢にも思わなかった、早くこんなこととはさよならしたい」と生前漏らしていた。

 埼玉の坂戸から東電に通っていた岡村さん。自由で気ままな生活を夢見ていたこともあるだろうに。改めて、岡村さんのことも偲びながらこの原稿を書いている。しかし、福島原発震災が起きる前に亡くなったのはよかったのか? 悪かったのか?

 福島の人たちは言うまでもなく、それをとりまく東井さんや私たちも未曽有の災害の中に取り込まれてしまった。それも自然災害のみならず、国、東電による人災のほうが大きい災害に。

◆プルサーマル公開討論会~市民対東電 市民対国
 東井さんの功績の一つに、「市民対東京電力」プルサーマル公開討論会を開いたことがあげられる。東電共の会を中心とする市民側が粘り強く訴えたおかげで実現した。私の手元にはその報告書がある。私自身はあまり内容を理解しないまま、編集を引き受けた。主催を共同で、と市民側は強く呼びかけたが、東電主催で、と押し切られた。

1998年12月4日(金)18:00~21:30 東京国際フォーラム
あいさつ/東電取締役榎本聡明 パネリスト/平野良一(青森 核燃情報)、山崎久隆・東井怜(福島原発市民事故調)、服部拓也・尾本彰(東電原子力計画部長・副部長) 司会者/中村浩美(科学ジャーナリスト)

 そしてこの後、「市民対国」プルサーマル公開討論会も99年5月に両国で開いている。
国側パネリスト/鈴木正徳、土井良治、杉本孝信、片岡洋(資源エネルギー庁産業課&核燃料課)、市民側パネリスト/澤井正子、山崎久隆、広瀬隆、佐藤和良 司会者/河合弘之(弁護士)

 この後、東電とも国とも公開討論会開催をと、再三訴えたにもかかわらず、開かれていない。よくぞ開かれたものだと今にして思う。

【チェルノブイリと核の大地 広河隆一 写真展事務局】
 いずみひと塾を借りて埼玉の女性たちで運営したのは約10年間。三重県津市に引き継ぐ際の最後の写真展ニュース(2001年12月)のコピーを、先の東井さんの告別式で配布した。その中で「日本でも東海大地震をはじめとして、原発の大事故はますます近づいている」と東井さんは予言していた。

 各地の原発立地、核燃立地の皆さんに寄り添いながら、東電、国とも一歩も退かない姿勢で対峙し続けた東井さん。
 私たちも少しでも、子どもたち、孫たちに負の遺産を残さないよう、大人の責任を果たしたい。

*東井さんは株主運動にも初期から参加。長いあいだ、毎年1つは自身で株主提案を作り、総会で趣旨説明までしていた。事故前も事故後も、趣旨説明や質問のとき、あるときは迫力ある声で、またあるときはさとすような声で東電の経営陣に迫っていったのが忘れられない。東電株主代表訴訟にも原告として参加していた。(M)

*脱原発・東電株主運動ニュースNo.273(2018年4月8日発行)より。
 
関連記事
スポンサーサイト
Posted by脱原発・東電株主運動事務局

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply