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東電原発裁判(第34 回公判)を傍聴して

脱原発・東電株主運動事務局

東電刑事裁判もついに最後の証拠調べ。11月14 日の第34 回公判では、
被害者の遺族2人が心情を意見陳述し、3人が書面で提出、弁護士らによって代読されました。
●「ドーヴィル双葉」に入所していた両親を亡くした女性の意見
 両親は安全な場所にいたはずで、長時間の苛酷な移動で亡くなることなどなかったはず
だ。両親を返してほしい。できないなら責任を取ってほしい。両親の死に目に会うことも
できず、心が押しつぶされそうだ。対策を取っていたら事故は防げた。未必の故意。
東電は上場企業なのに、津波を甘く見た。
命を奪われ、土地を手放し、故郷を喪失したというのに、
誰ひとり責任を取っていない。悔しいの一言。絶対許すことはできない。
死んでも許せない。許しません!
●「ドーヴィル双葉」に入所していた祖父母を亡くした男性の意見
 遺族としてどうしても申し上げたい。祖父母が死亡したことから始まる悲しみ、怒り、
後悔は、時間が過ぎても消えない。法によって裁かれる責任者は誰なのかを知りたくて
裁判に参加してきた。高度な注意義務がある方に責任を取ってもらわねば教訓にならない。
遺体確認で泣き崩れた母の姿。死という現実を突然突き付けられた。
こうした現実があったことを忘れないでいただきたい。
双葉病院   (事故後の双葉病院玄関:福島原発刑事訴訟支援団のページより)
●双葉病院に入院していた父親を亡くした女性の意見
入院中の父は、寝たきりで寝返りも打てず、2時間ごとの体位交換が必要だった。
中心静脈カテーテルで栄養や薬剤の投与を受けていたが、カテーテルを抜かれ、水分も栄養も摂
取できなくなり、10 時間近くの避難で亡くなった。寒がりだった父が、水も栄養もなく、
身動きもできず、どんなに辛く苦しかったか。
原発を不安に思っていた父が、原発事故で亡くなるとは想像もしていなかった。
父の最期が、今でも悲しい。
●双葉病院に入院していた兄を亡くした人の意見
 兄は30 代で発症し、双葉病院に入院していた。
兄の遺体は、伊達市ふれあいセンターに「氏名不詳」と書かれた死亡診断書と共にあった。
兄の顔は嘔吐物で汚れ、苦しそうだった。
翌日、伊達市メモリアルホールで荼毘にふした。67 歳の誕生日だった。
事故直前の数年間、いろいろな災害があったが、東電の経営者は他人事だったのではないか。
切迫した想いもなく、安全神話にすがっていたのではないか。津波の危険を知らずに経営に携わ
ってきたことに驚いた。慢心があったとしか言いようがない。猛省してほしい。
●双葉病院に入院していた母を亡くした女性の意見
 事故後、病院に向かったが、道が通れなかった。今思うと、歩いてでも会いに行けばと
自分を罪深く思っている。「大熊町民は全員救助」と聞いていたのに、
母が亡くなったことを浪江警察からの連絡で知った。
遺体を確認してびっくり。
骨と皮でミイラのようだった。この気持ちが被告人にわかりますか。
あなたがたの言い分を聞いていると、「部下に任せているから私は知らない」ばかり。
経営破綻した別の会社の社長の会見をテレビで見た。
「すべて私の責任。社員を責めないでください」と言っていた。
このくらいのことがなぜ言えないのか。全責任は我々上層部にあると認めてください。
母が死んだのは急性心不全ではなく、東京電力に殺されたと、私は思っております。
 法廷で陳述をした2人の遺族は、これまで何度か裁判の傍聴をしている方たちで、被告
らの無責任な言葉を直接聴いているのです。どんなに悔しかったことでしょうか。その気
持ちは傍聴を続けてきた私たちにも伝播し、法廷はすすり泣く声でいっぱいになりました。
報告集会でも、いつもは雄弁な佐藤和良団長(福島原発刑事訴訟支援団)が、一瞬、
言葉が出てこない様子になり、みるみる涙をこぼしました。
 裁判の最後の最後に語られた、被害者遺族の悲しく悔しい気持ちが、裁判官にも、被告
らにも、被告側弁護士たちにも、しっかり伝わっていけばいいと思いました。
二度と原発事故を起こさないためにも、責任者が責任を取る必要があります。
この事故は人災であり、責任は対策を先送りした経営陣にあります。
12 月26、27 日に論告求刑、3月には最終弁論です。
(福島原発告訴団役員:H)
*脱原発・東電株主運動ニュースNo.279(2018年12月16日発行)より
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Posted by脱原発・東電株主運動事務局

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