寿都町~手探りの3か月、初めての住民運動
私の夫は寿都町出身です。2012年に札幌から寿都に引っ越して来ました。当時娘が2歳で不安もありましたが、人の温かさ、美味しい食べ物、子育てしやすい自然環境が気に入り、実家の水産加工と美容室で仕事をしながら、安心して生活してきました。
8月13日、そんな平穏な寿都に思いがけなく、“高レベル放射性廃棄物処分場”の文献調査に名乗りをあげるという報道が流れました。
その後、私はすでに風評被害を受けていた水産加工組合青年部の人と「寿都に核のゴミはいらない町民の会」を結成し、文献調査の反対署名を集めました。しかし町から圧力がかかっている人が多数いて、思った通りには集まらず、その圧力に驚きながらも何とか695名の署名を提出しました。
その後、ママ友、地域の方達も加わり、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」と改名し、共同代表となりました。
※「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」ホームページ
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このような運動に関わり、代表になるのは初めてでしたが、圧力がかかり声を出せないママ達の代わりに声を出したいと思いました。会主催の勉強会も行い、町主催の説明会、NUMO(ニューモ、原子力発電環境整備機構)の説明会にも参加し、色々な質問をしました。片岡町長の応募ありきの発言に驚きながらも、「町民の51%が反対なら応募しない」との発言を受けて、私達は住民投票条例の制定を請求する署名を集め、寿都町議会へ提出しました。しかし10月8日、町長は町民の意見を聞き捨て、町議会の議決もないまま、自分の肌感覚で文献調査の応募に踏み切ってしまったのです。
その後11月13日に、議会で私は代表者として、文献調査への応募に関する住民投票条例案の意見陳述をしました。手書きで原稿を作り、会の代表として想いをぶつけましたが、残念ながら5対4で否決となりました。否決の理由も大して説明もないまま、終わってしまいました。片岡町長の独断的な町政、住民に寄り添うことがない議会に、正直怒りを通り越し、呆れてしまいました。
私達は、まだまだ諦めてはいません。諦められません。これからも町民の会として、勉強会、講演、公平な対話の場を通じて、町を良い方向に変えていくお手伝いをしていきたいと思います。
↑寿都町「核のゴミ」問題を放送したTBS報道特集
11月3日に2つ返事ではるばる寿都まで講演に来ていただいた小泉元総理に、本当に感謝申し上げます。残念ながら、寿都町長、文献調査に賛成している議員の方には来ていただけませんでしたが、小泉元総理が講演の中で話された「過(あやま)ちを改めざるこれを過ちという。過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」――自分の過ちを認めないのが一番の過ち。間違いに気付いたら、正そうとすることが大事、とのお言葉。今もこの言葉は、私の中で忘れられないものとなっています。
今回の事で、私は10歳になった娘を巻き込んでしまい、テレビにも出してしまい、「子どもを出したら終わりだ」「子どもに質問させたのはやらせだ」などの噂を耳にして、私は間違っているのだろうか?と悩んだ時期もありました。
しかし娘は、「やらせじゃないんだからいいでしょ。後ろ向きじゃダメなんだよ。前向きに行こう」と言って、背中を押してくれました。この娘で良かった。子どもに話してはダメなんじゃなく、いま、子どもにしっかり話さなきゃダメなんだと再確認する事が出来ました。
この活動で失ったものもあると思いますが、得たものの方が多いと今は思えます。引き続き、全国から応援してくださっている方のお力もお借りして、ますます会でも頑張っていきます。ありがとうございました。
(子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会 共同代表)
*脱原発・東電株主運動ニュースNo.296(2020年12月13日発行)より
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